映画『レ・ミゼラブル』

レ・ミゼラブル [DVD]

 

毎日、YouTubeで関連動画をあさっているのをみて、

嫁さんから「『レ・ミゼラブル』はまってるね」と言われた。

 

どこがいいというより、

とにかくまた歌が聞きたくなる。

できれば一緒に歌いたい。(歌えないけど)

歌を覚えて舞台を見に行っても楽しそう。

 

最後の方のシーンを見ていて、

「畳の上で家族に囲まれて死ねたら幸せだろうな」

と思ったり。

 

ビデオを借りてきても、子どもと一緒に見ることが多いので、

夜、お酒を飲みながらよい時間を過ごせました。

 


映画『レ・ミゼラブル』予告編 - YouTube

(備忘録)

今日は会社の暑気払いがあり、

そこへ最近まで顧問をしていた方も来た。

その言動が気になったので、

自分への戒めとして覚えておく。

 

 

①人と比較しない

 

元顧問が余興のゲームで2位になり、

1位の新入社員をまぐれだと言っていた。

立場、年齢を考えて、ありえない言葉だが、

(無意識に)人と比較して、

劣っていると感じて言い訳をしたり、

勝っていると感じて得意になったり、

そういったことは自分もよくある。

他人のほうが努力すれば劣るのは当たり前だし、

それが嫌なら努力すればいい。

また、勝っていても、その人に勝つのが目的でなければ、

それに感情を持つ意味はない。

 

 

②「もらう」よりも「あげる」

 

元顧問が余った景品をもらっていた。

もらおうとした若手社員が近くまで来ていたのに。

これも、自分はそんなことはしないと最初は思ったが、

「もらう」ことは多く、「あげる」機会が少ないのは自分も同じ。

「もらう」ことに注意して、もらいすぎない、もらったら感謝をする。

そして、「あげる」機会を増やせるように努力をする。

 

 

小さな意識や判断の積み重ねが、

数十年するとその人そのものと思われるほどの、

人格となってしまうのだろう。

最近、また余計な感情が多くなってきたので注意しなくては。

はじめてのおねしょ

4歳の長女が日曜日にソファーで昼寝をしていて、

おねしょをした。

4月に幼稚園に通いだして、

ようやくおむつが取れたのだから、

まあ仕方ないかと思った。

 

家族4人とも昼寝をしていて、

長女の隣で寝ていた嫁さんは驚いて起きたが、

僕は再び布団に戻った。

そのうち、長女が目を覚ましたが、

起きずにゴロゴロしている。

嫁さんが、早く起きて着替えようというが、

いくら言っても起きようとしない。

 

だんだん嫁さんの口調が厳しくなるので、

僕も起きだして長女の近くに寝転んだ。

「びっくりしちゃった?」

「(うなずく)」

 

 おしっこを漏らしたことも理解しているし、

濡れて気持ちが悪いけれど、

なぜそうなってしまったのか混乱していたのだろう。

嫁さんを責めてはいけないと思うし、

自分が得意になってもいけないと思うが、

親でもこどもの気持ちがわからないというのは、

忘れないようにしておきたい。

 

そんなときに、

小笠原舞さんという保育士の方のインタビューを、

名越康文さんが紹介(リツイート)していた。

世の中の親御さんを見て感じる不安や、

保育関連の取り組みに感じる違和感は、

自分だけが感じていたのではなかったのだと、

一方では安心し、一方ではやっぱりそうなのかと暗くなる。

 

【前編】待機児童ゼロに潜むリスク|asobi基地・小笠原 舞 “女性の権利は語るのに「こどもにとって」は議論しない日本社会”

夫婦喧嘩は犬も食わない

たしかに、他人から見たら、

夫婦の喧嘩は些細な理由が多い。


友人は、嫁さんの言動が許せない、

と言って浮気をしている。

電車で乗り合わせたカップルは、

勤める飲食店に来てほしくないと女が言うと、

男はそれを不貞だという。


昨日、自分も嫁さんに怒った。

三家族の宿を予約したときに、

配慮が足りない、非常識だと。


些細なことなのかもしれない。

でも、譲れないという思いも強い。

ただ、結果的に泣かせてしまった。

 

話そのものは些細なことだが、

私は嫁さんに直してほしい部分があり、

嫁さんは子供の前で非難されたくなかっただけかもしれない。

(以前にもそういうことがあった)

 

いま大事なことは、

自分を観察することだろう。

今回の一連の感情を分解して並べる。

それらをうまく扱おうとするのではなく、

いまの自分は弱くて未熟なため、

対処できていないのだと認識する。

 

そうやって自分の弱さと向き合うことが、

成長の道すじなのだろう。

サービス業の利益はチップで考える

先日、会社のホームページを作っている、制作会社を怒った。

私を含めたうちの社員に対して小馬鹿にした話し方をするので、

間接的だが怒ってしまった。

 
彼は技術屋かもしれないが、直接仕事を受けている以上、
営業としての役割も負っていると思わなくてはいけない。
 
海外のレストランに例えると、
■食事=HP制作の人件費
■チップ=制作過程で得られた経験・サービスに対する対価
といえる。
 
食事は、好みを事前に伝えておいたので、とても満足できた。
しかし、
食べ方が間違っていると注意されたり、
なかなか出てこないメニューがあったり、
最後には、
あとはデザートだけだから、
早く食べて席を空けてほしいと言われる始末。
 
 
うちの会社も、いまは需要が多く、
このレストランみたいに売り手が強い接客をしていても、
人気店としてお客さんが絶えない。
ただ、自戒を込めて、
制作会社とどうつきあうべきかを考えながら、
自分たちの仕事の仕方も見直さなくては。

「辞める」宣言と「会社のために働く」こと

今年一月、社長に話す機会をもらい、

「自宅勤務がしたい。
 それができなければ、辞めることも考えている」
と話した。
 
いろいろと質問されたあとに、
「そんなこと俺に相談すんなよ」
と言われた。
でも、一番相談する意味があるのは、
社長なのだから仕方がない。
 
 
そのあと別の機会に、
「辞めると言ったんだから2年が限度だぞ」
と言われた。
 
 
今週、また差しで飲んだ。
また、あと2年と言われたらいやだな、
と思っていると、やはり最初に、
「まだやっていけそうか」
と聞かれた。
 
なにをやるのか、見当がついていない。
どう稼ぐのかもわからない。
ただ、大規模でない農家が、
食っていける手助けがしたい。
と、正直にいまの状況を話した。
 
しばらく会社の話になったあと、
「辞めたいというやつを許容することも、
 会社には必要だ」
と言ってくれた。
会社にしがみつく社員が多くなると、
会社はだめになる、とも。
 
ある人から、
「会社のため、なんて言わないで。
 そんなのありえない」
と言われたのが、
ずっと引っかかっていた。
でも、人のために価値を提供したり、
手伝ったりするから、
その対価をもらえるのだ。
 
会社を辞めると宣言しても、
会社のために働くことはなにも矛盾しない。
 
でも、まあ、
最後の一杯が四杯になっては多すぎる。

こどもに「じょうずだね」と言ってはいけない?

幼稚園の先生の言葉。

 こどもが絵を描いたときに「じょうずだね」を言うと、

 うまく描かなくてはいけない、という意識が根付いてしまうので、

 ほめ方に注意しましょう。

 

先生が言わんとしていることはわかるが、

ことばの選び方を間違っている。

 

一つには、

ほめる言葉にいいも悪いもない、ということ。

こどもが大きくなると、

ほめることが少なくなってくる。

ほめ方を考えるよりも、

ほめる機会を増やすことに気を遣ったほうがいい。

 

一つには、

写真のような絵を描けることだけをほめないほうがいい、

ということ。

これは、先生が言いたかったことだろう。

 

うちの子もようやく、人の目と鼻と口が一本線で描けるようになった。

それも、じょうずだとほめるが、

何を描いているかわからなくても、

「おとうさんこれかいたの」と言われれば、

「じょうずだね」とほめるようにしている。

 

大人になってから「これかいたの」というのは、芸術家だけだ。

こどもは芸術家なのだ。

将来、芸術家になろうとなるまいと、

自分の内面を外に表現するということは、それだけ難しいことなのだ。

 

そういう心持ちで、

ただ「じょうずだね」と言ってあげていればよい。