席を譲れないのはなぜか

 

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先週末、

電車の中にリュックサックを忘れてしまった。

運良く届けられたのだが、受け取りに行くのに、

往復5時間の電車旅行となった。

 

その道中で感じたこと。

 

席を譲る人が少ない。

 

いつもより赤ちゃん連れやお年寄りが多かった気はする。

だが、いつも以上に席を譲る人も少なかった気がする。

 

たしかに自分も子供が生まれるまでは、

なかなか席を譲ることができなかった。

恥ずかしくて声をかけられずにいたときもあれば、

1時間以上、乗り換えもない通勤電車では、

よく寝たふりをしていたりもした。

 

そう考えると、

席を譲れないやつはけしからん、

と言っても始まらない気がする。

子連れで出かける大変さにしても、

年を取ってから電車に乗る大変さも、

経験しないうちはなかなか想像できない。

だから、子供のころから席は譲るものだと教えることと、

人の立場で考えることを習慣付けることは大切だ。

 

ただ、

妊婦さんが立っていて、

見かねたおばあさんが席を譲っていたのは、

道徳教育(しつけ)や想像力とは別の問題だと思う。

 

10代の子供達が友達と座っている。

40代のお母さん連れが座っている。

たぶん、みんな席を譲った方がいいとは思っているけれど、

まわりや一緒にいる人の“何か”を気にして口に出せない。

自分もそういうときがあるから分かる。

 

でも、そんな社会って変だ。

 

そんなとき、「偽善」って言っているやつこそ、

偽善だと感じる感覚を思い出す。

 

席を譲るということにつけても、

みながよい方向へ進むのが難しいということは、

対処療法では根本解決にならないということ。

まずは、自分を見直すことからだろう。